MarginalMan

2023年5月27日 (土)

民衆が立ち上がるⅢ

民衆が立ち上がるⅢ

マージナルな表現を思考するパフォーマンス
現在に屹立し、立ち向かっていくアーティスト
サブテレニアンはスクウォットになる

パフォーマンスアーティスト

米澤嶺・喫茶みつる・仮屋奈那

技術/豊川涼太 宣伝美術/美秋(Meerkat-girl) 企画・製作/赤井康弘 主催/サブテレニアン

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仮谷奈那

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ーーーこれは突如として言葉が止まらなくなった女の話。初め誰もが無意味な文節の羅列だと感じた彼女の言葉には、ある意思が隠されていた。作者が目にした出来事と取材を元に、当時の彼女の世界と周囲との関係性を、観客と共に読み解く体験型パフォーマンス。

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喫茶みつる

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「砂の女」は、この国の姿をシニカルに描いた作品。そのエッセンスを今回はパフォーマンスで再構築します。2009年伊藤キムプロデュース「おやじカフェ」参加。以後、数々のフェスティバル、アーティストをサポート。現在は「偽の舞踏家」

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米澤嶺

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油絵の制作やパフォーマンスなどを行う。今回は個展「♯アマビエのゾンビ」で行ったパフォーマンスのコロナウイルス5類版を実施。感染症予防の儀式化とアマビエの消費を行い、コロナウイルスによる報われない感情の昇華を試みる。

 

2023年4月10日 (月)

インドレニシアター(ネパール)『胎生』 永守輝如『釋蓮』

Marginal Man15では、ネパールよりインドレニシアターを迎えて、東京在住の永守輝如と舞踏のダブルビル公演を行いました。


永守輝如は『釋蓮』を上演。永守氏自身のお母様の死と向かい合ったという作品。遺灰をイメージさせるような白い粉が舞台に捲かれ、身体がまみれていく姿が印象的でした。

 

インドレニシアターは、ネパールのポカラを拠点に、普段は演劇を行っているとのことですが、日本の舞踏に影響を受け、舞踏も演じるようになったとのこと。今回の作品『胎生』は3人の舞踏の要素が入ったパフォーマンスといった作品でした。大きく広げた両手を素早く閉じる動作や、腹部から湧き上がってきて喉を震わせる甲高い声など、特徴的な要素にあふれていました。それぞれについてお話を伺うと、原点となるイメージがあるそうで、天と地、時間、瞑想など、源泉の違いを感じました。

永守輝如『釋蓮』
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インドレニシアター『胎生』

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2023.04.08sat 17:00
2023.04.09sun 17:00

出演/インドレニシアター(ネパール)、永守輝如(日本)

技術/豊川涼太
企画・製作/赤井康弘
主催/サブテレニアン


インドレニシアター「胎生/Embryonic」


木はどのようにして生きているのか? なぜ山は不変なのか? なぜ風は吹き続けるのか? なぜ花は無我夢中で咲くのか? 私たちの心の中には、毎日100万もの思考が生まれていますが、それらはほとんど意識されることはありません。人は日常の小さなことに戸惑い、人生の美しい面を見逃してしまうのです。この劇は、観客を川のリズムに乗せ、花のように踊り、雲のように浮かばせるでしょう。
インドレニシアターは、2019年、ケダー・ラト・ポーデルを中心に、ネパール・ポカラで設立されました。ネパールを中心にイタリアや韓国等海外でも積極的に公演を行なっています。今回は初来日公演。


永守輝如「釋蓮」


俳優、舞踏家。
映像、演劇、人形劇などに出演しています。
WOWOW「Tokyo Vice」、Netflix「Giri / Haji」、サイマル演劇団+コニエレニ「コスモス/KOSMOS」日本/ポーランド公演、種のアトリエ「モモ」「竹取物語」台湾公演、グラシオブルオ「からすたろう」タイ公演などに出演。
舞踏は大野一雄舞踏研究所で大野慶人に師事。イタリア、オランダ、ポーランド、インドでソロ舞踏公演。日本では北海道舞踏フェスティバル、アジアトライ秋田、無国籍ソロダンスコレクション、板橋舞踏祭などに出演。

 

2015年3月26日 (木)

前衛に学ぶ―『砂のピエタ』―

 あらゆる前衛の衰退が著しい。特に文学は売れ行きを、演劇は集客を強く必要とされ、実験精神を失いつつある。このような状況下で板橋区役所前に拠点を構える劇団サブテレニアンは飽くなき探求を続け、今、最も必要である分野の越境に挑戦を続ける。分野の越境は自らの演劇の相克が不可欠であり、賛同する他の分野の力も必要となる。

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 さたけれいこは、今日のパレスチナの動向を動機に、『シャティーラの四時間』を筆頭にジャン・ジュネの様々な戯曲、マフムード・ダルウィーシュの『アラブ、祈りとしての文学』など第二次世界大戦直後のテキストも参照し、『砂のピエタ』の構成・演出を果たした。

 ここに必要なのは、かつてジュネを演じた大野一雄の薫陶を受け、現在は舞踏発生以前から舞踏の根底を知る及川廣信に教訓を得ている相良ゆみだった。つまり相良は舞踏でありつつも舞踏でなく、その為、演劇でなくても演劇で在り続ける演出に耐えることが可能になるのだ。

 開場時から相良と俳優の山本啓介は舞台に蹲り、身を隠している。舞台の壁面に認識できない映像が投じられると、金の鬘を被り、赤いワンピースとハイヒールの相良が舞台を廻る。バッハの《シャコンヌ》がその悲劇性を強調する。テキストの朗読が断片的に続き、総ての衣装を取り除いて人間となった相良の動作を山本が模倣する。アフタートークでパレスチナ里親を続ける岡本達思が明かした死者の名前が記された巻物の上を進む映像と実体が交差する。相良は象徴的なポーズを一切しない。映像もまた抽象的だ。演劇でもダンスでもない一時間の舞台は難解ではなく、間接的に人間の絶望を伝えてくれる。

 かつて人間は屠ることと葬ることによって、仲間を弔っていた。それが緩やかな曲線を経て第一次世界大戦を境に大量殺戮と人権擁護という極端な道に分岐した。ジュネがパレスチナ人を弔う時には、アルベール・カミュの『異邦人』が頭を過ぎったに違いない。家族でも同人種でも同国籍でもない者を屠り葬る恐怖。そこに襲ってくる悲劇は、海を隔てた遙か彼方のイスラエルの問題ではなく、我々の足元にも忍び寄っている。我々が前衛から学ぶことは、これからも多々ある。前衛を生み出すのは創作者だけではなく、立ち会う我々でもある。(八月三一日所見/サブテレニアン)

前衛に学ぶ―『砂のピエタ』―

宮田徹也

写真:飯村昭彦

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SUBTERRANEAN Produce『砂のピエタ』
2014/8/30(土)19:30 31(日)14:30
原作 J.ジュネ(『シャティーラの四時間』『恋する虜』)
舞踏 相良ゆみ
俳優 山本啓介
声  名川伸子(青年劇場) 細川真知子
照明 赤井康弘
音響 山田尚古
構成・演出 さたけれいこ