仙台シアターラボ『ペスト』ーーーサブテレニアン15周年記念月間
サブテレニアン15周年記念月間
仙台シアターラボ『ペスト』
原作/アルベール・カミュ「ペスト」
構成・演出/野々下孝
2021.5.1-2
※*公演は6月19日、20日に延期になりました。
2021.6.19sat 18:00
2021.6.20sun 13:00/17:00
15周年記念月間としてサブテレニアンでは仙台シアターラボを迎える。サブテレニアンでの公演は2013年『透明な旗』(構成・演出/野々下孝)、2017年『特別な芸術』(構成・演出/野々下孝、原作/芥川龍之介)以来の公演だ。コロナ禍にあって、他地域での公演は躊躇するところもあるが、地域交流は劇団として大切にしているテーマの一つなので、自粛はしなかったとのこと。『ペスト』は、サブテレニアンでの公演のあと、d-倉庫の”「ペスト」フェスティバル”にも参加するとのこと。(2021.5.4)
仙台シアターラボは結成より11年。仙台市から舞台芸術を発信し、ワークショップや教育普及事業などアウトリーチも活動の柱としている。代表の野々下孝氏に、今回の作品や劇団の活動、コロナ禍で考えていることなどの話を伺った。
野々下孝
大学入学と同時に仙台で演劇活動を開始。
1997年にシアタームーブメント仙台Ⅱ「光が丘から」に主演。
卒業後、先端的な舞台芸術のカンパニー 劇団山の手事情社に入団。
徹底した自己観察を通じて、現代生活で鈍りがちな対話能力や、身体感覚を研ぎ澄ます訓練を繰り返し行い、集団創作による《山の手メソッド》の確立と発展に関わる。
現代劇のみならず、落語、浄瑠璃、能、ギリシャ悲劇、シェイクスピアなど東西の古典作品を上演。
《四畳半》と呼ばれるスタイルで現代演劇の様式化に取り組む。
韓国、ポーランド、スイス、ドイツ、ルーマニア、ロシアなど海外公演にも多数出演。
また《山の手メソッド》を用いた俳優養成にも力を入れており、各種学校、企業などで、ワークショップや授業を行う。
2010年に活動の拠点として仙台シアターラボを旗揚げ。現在は東京と仙台で活動中。
フィジカルシアターと呼ばれる現代演劇の新潮流をホームグラウンドにして、様々なジャンルに活動の場を広げており、演劇を抽象化する作業と、身体能力には定評がある。
「河原でも稽古をしましたよ」---今回の『ペスト』について---
---2010年に旗揚げして、2020年に10周年を迎えたのですね。
はい。実は…10周年としてあたためていた企画がありまして。現在仙台で活躍している俳優に、かつてシアターラボで共に活動していた仲間がたくさんいるんです。原西君や言言の飯沼君、短距離弾道ミサイルの本田君、そういった方々を客演として迎えて、地域を回る公演をしたかったんです。ところが、このコロナ禍で客演を呼ぶことが叶わなくなりました。
旗揚げの際も、2010年は実験公演を行い、2011年に本公演『腐敗』を上演しましたが、東日本大震災に見舞われ、予定を延期して行っています。旗揚げも10周年も試練に見舞われていることになります。
2020年は劇団員を中心に稽古をしていました。コロナ禍のため河原でも稽古をしましたよ
! 劇団員の絆は深まり、困難に立ち向かう強さが生まれました。9月にトライアル公演(Fukushima Meets Miyagi Folklore Project#4 TRIAL 『ペスト〜我々は人を死なせる恐れなしに身振り一つも成し得ない〜』)、12月にシア・トリエと合同公演(Fukushima Meets Miyagi Folklore Project#4 『ペスト〜我々は人を死なせる恐れなしに身振り一つも成し得ない〜』)を経て、2021年5月のサブテレニアンとd-倉庫での公演は単独の本公演となります。
---サブテレニアンのチラシの作品紹介にある、仙台の自立援助ホームを出た青年という設定に想像力をかきたてられます。どこからその発想が出てきたのでしょうか。
A・カミュ「ペスト」の登場人物、犯罪者のコタールをモデルにしています。ただし、トライアル公演、12月の公演を経て、少しづつ作品が変わってきています。
いまは土木業を営む一家、三人の息子とその親という設定を軸にしています。合同公演を行った際、実生活で土木業に携わっている出演者が、福島で汚染土をフレコンバックに移す仕事をしていたそうなんです。それが作品のコンセプトになりました。
A・カミュ「ペスト」には死刑制度を問うテーマもあり、僕たちの『ペスト』では「我々は人を死なせる恐れなしに身振り一つも成し得ない」という言葉を掘り下げています。東日本大震災では、東北の人はみな遺族になってしまったんです。誰一人自分事ではない人はいないということです。
震災から十年、ペスト、東北の地、それらが重なり合っていく作品です。
---2020年のコロナ禍について---
---2020年のコロナ禍で被った影響はいかがなものでしたか。
様々な演劇祭が企画されていましたが、見事に全部とんでしまいました。自分たちが関わった企画も、それ以外にも。客演を呼ぶ予定だった劇団10周年の企画もそうです。
アルバイトをしている劇団員には大きな影響がありました。シアターラボは劇団として、学生に進路指導を行う派遣の仕事を受けていたのですが、イベントが無くなってしまったので、半分クビのような状態になりました。ライブハウスのアルバイトも同様です。そのような中、仕事探しをしつつ、河原を走って稽古をしていました。
---稽古はしたいと考えていらっしゃったのですね。
はい。劇団員はみな「稽古しましょうよ」と。時間はありましたからね。でも、どのようにして行なおうかと…。「密はダメらしい」ということで、屋外の稽古はOKにして。もともと小さな空間で上演するための稽古だったのですが、大声で、大雑把な演技ばかりしていましたね。
そんな中、渡部ギュウさんが公演を行うと言いまして。(『今は昔、栄養映画館』作/竹内銃一郎 構成・演出/高橋菜穂子 2020年7月@10-BOX)その準備のため、話し合って劇場と稽古場(10-BOX)のルールを設定したんです。それまで各々の劇団が手探りで、それぞれのやり方で利用していましたが、複数の劇団で検討して、劇場としてのウイルス対策のマニュアルを作りました。そこからですね。劇場や稽古場を使えるようになってきたのは。
---それは大きなターニングポイントですね。演劇の現場では感染対策と上演、稽古を慎重に行っているわけですが、新型コロナウイルスの影響の終わりが見えない中、考えていらっしゃることはありますか。
大学演劇が壊滅的な影響を受けていることが気になります。大学や高校演劇の出身者が地域の演劇を支えているからです。大学の施設が使えないので、公演の数が減りました。高校演劇も同様です。宮城県では高校演劇の総合研修会やリーダー研修会で各地の高校生を集めて講座を行っており、シアターラボは講師を務めているのですが、それも中止になりました。若い方が演劇をやりたいと思ったときに知恵や場を与えられるよう、コロナ禍でも、シアターラボでは門戸を開けておきたいと思っています。
また、地域間交流も大事にしたいので、東京で公演を行うことも異論はありますが、自粛はしたくないと思いました。
---そのようにして公演を行っていただけることは、大変ありがたいです。
---東日本大震災から10年、仙台シアターラボの10年---
---10周年の話に戻るのですが、お聞きしたいことがあります。シアターラボの10年は、震災の復興と歩みを共にしているように感じます。ボランティア活動やワークショップを行い、復興に関わってきた思いと、演劇への思いについてお聞かせいただけますか。
シアターラボを立ち上げる前、東京で演劇の活動をしていた頃、稽古場で稽古をして劇場で公演を行うという毎日でしたが、実生活と演劇人としての生活が分離しているように感じていました。演劇人としての自分は地域から孤立しているのではないかと。近所付き合いも自分にとっては大事なことなんです。子供もいましたし。舞台の上では演劇人でも、舞台を降りると自分に自信が持てず、何者なのだろうと。僕は、演劇人は生活の上から演劇人であるのが本来のあり方だろうと思うんです。
元々そう考えていたので、シアターラボでは震災の前からコミュニティ形成を大事にして、ワークショップなどを行ってきました。2011年3月15日も、ワークショップを行う予定だったんですよ。中止になってしまいましたが。
震災のあと、仙台の演劇人有志がARCT(Art Revial Connection TOHOKU)を立ち上げて、「出前部」といって被災地を回って相撲をしたり、マッサージをしたり、運動やダンスをしたり、公演をしたりという活動を共にしてきました。
ただし、ジレンマもありました。作品のクオリティを上げることよりも、分かり易く親しみやすいものに偏っていったような気がします。「目の前の人を喜ばせたい」という思いで。それが一番大事なんですけどね。
作品の照射距離が近いんです。時間的にも空間的にも。5年後、10年後には通用しなかったり、他の地域に行くとまったく受けないとか。
もっと若い人が見て、「自分たちもやりたい」と思うような演劇がしたいです。
---若い人の目線を大事にしたいという思いに共感します。彼らは未来を見ていますものね。人材育成を大事にしているというシアターラボさんの理念に通じるところがありますね。
お話聞かせていただきありがとうございました。『ペスト』楽しみにしています。
(聞き手・さたけれいこ)
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