板橋ビューネ2022/ 2023東新大学校(韓国)「かもめ」劇評
217.【劇評】かもめ
板橋ビューネ2022/2023参加作品
東新大学校
サブレテニアン
2023年1月14-15日
原作:アントン・チェーホフ
演出:ムン・チャンジュ
出演:ファン・ソンイン、ハーナン、カン・ビョンウク、チョ・ジョンフン、キム・ヘウォン、カン・ミンソク、チャ・アリン、パク・スンジン、チョン・インホ、ユ・ジヒ、ユ・ミギョン。
チェーホフの「かもめ」のあらすじを、今回の公演のフライヤから引用する。
女優のアルカージナと愛人の小説家トリゴーリンが久々に滞在しているソーリン家で、アルカージナの息子コースチャが恋人のニーナを主役に前衛的な劇を上演する。母の悪評にかっとしたコースチャが去ったところで、アルカージナはニーナをほめ、夢を叶えなさいとトリゴーリンを紹介する。
コースチャが、銃で撃ち落としたかもめをニーナに捧げて、「今に僕は自分を撃ち殺す」などと言い、芝居の失敗の後にトリゴーリンを愛し始めたニーナをなじる。
ニーナはトリゴーリンに名声への憧れを語る。コースチャのトリゴーリンへの決闘申し込み、自殺未遂などの騒ぎがある。モスクワへ戻ろうとする作家に、ニーナは自分もモスクワに出て女優になる決心をしたと告げ、二人は抱擁。
2年後、作家として名を上げたコースチャの聞くところでは、ニーナはトリゴーリンと一緒になって子を生んだものの、やがて捨てられて子にも死なれ、女優としても芽が出ず、今は地方を巡業しているという。コースチャがひとり仕事しているところへ、巡業で近くに来ていたニーナが現れ、感動の再会。あなたを永久に愛するから、ここにとどまってほしいというコースチャの申し出を振り切ってニーナは立ち去る。銃声が響く。
引用終り。上記四つの章に分けて、上演された。70分。第一章では、約40cm四方の正方形の黒い椅子が9つ、M字を描いて舞台に置かれている。椅子には台本が置かれている。韓紙であろうか。素材に特徴がある。
俳優が男性6人、女性4人が、笑顔で奥から入ってきて椅子に座る。コースチャのみが立っている。前の椅子に座っているのが、アルカージナである。母であり女優である威厳が、凄い。息子の作品を、徹底的に避難する。舞台は、このように始まる。
あらすじは予め示したので、繰り返さない。この舞台を見ていて驚いたのは、まずは、俳優の徹底的になり切る姿だ。コースチャは、ほんとに泣いていた。ある者は、本気で怒っていた。またある者は、心の底から笑顔に満ちていた。この本気度が凄かった。
衣装は勿論、心の中までその人と化している。労働者、貴族、お手伝い、女優、小説家と、一目で分かる。ちょっとした仕草まで、演出家と俳優が、心底、研究した跡が伺える。人間には性格と性質がある。それを、とことんまで見極めようとしている。
それによって物語全体だけではなく、各個人の物語を想像することが出来た。場面にいない人物は、何処で何をしているのであろうと、憶測することも出来た。この空間で10人という出演であったが、観客に混乱が来たすことは全くなかった。
次に素晴らしかったのは、余計な舞台美術が一切なかった点である。殆どが俳優の演技によって、賄われた。かもめの人形を出さないまでに徹底されると逆に概念が先立つので、人形があってよかったと思う。この芝居は概念演劇ではないのだから。
衣装の時代考証を何処まで行っているのかは知る由もないのだが、極々、自然である。初演の1896年のロシア、という感じが無理なく出ている。釣竿、手帖というアイテムを現代的な、例えばスマフォなどにしなかったことも、余計な解釈を必要としなかった。
それによって《かもめ》が持つ人間の様々な側面をその時代に還元せず、普遍的なテーマとして新たに発掘したことになる。今、人間は変容しよう/されようとしている。徹底的な個人主義が奨励され、家族という最小限のゲマインシャフトすら、崩壊している。
自らが開発した機械によって人類は管理されて行き、人間の関係性が消滅する危機に向かっている。それでいいと、思い込まされている。失敗は許されず、違ったことをやることを回避される。全体主義以上の管理である。それは、支配者と奴隷の関係であろう。
人間は、自己と他者が共感し、やっと区別が出来てその違いに耐えられなければ別れが待っている。別れることによって、新たな出会いの機運が生じる。この繰り返しによって新陳代謝を果たす。挫折があるから、希望がある。悲しみがあるから喜びがある。
この舞台の最後に、次のようなセリフがある「我慢をすることです」。人間は自ら我慢をするし、他者に我慢をさせる。しかし、我慢をするから辛抱強くなれるのだし、我慢をさせるのだから他人に優しくすることができるようになるのだ。
他人の顔色すら、我々は気にならなくなっている。自分が喋りたいことだけを喋り、人と関わりを持たないように心がけている。自分の城に入ってこないように、警戒している。これでは、子どものままだ。これではいけないことを、この作品は教えてくれる。
最後に、演出家の言葉をフライヤから引用しよう。
「かもめ」は、若い芸術家たちの苦悩と既成の芸術家たちのマナリズムに対する批判を男女、家族間の愛の葛藤で盛り込んだ作品です。劇中の人物であるコースチャも新しい形式を試してみようとしますが、結局失敗をすることになります。私たちはその点を新たに利用して、これまでとは違う「かもめ」を試みます。古典がいつでもその時代にとどまらない方法。私たちは未来の世代です。古典の魅力を私たちの世代の魅力で十分に作ることができると思います。
引用終り。《かもめ》が描かれた1895年から、118年経っている。これから凡そ120年後の2140年に、《かもめ》は残っているだろうか。本は、演劇は、人類は生き延びているのだろうか。それを信じて、日々、人間を信じて生きていきたいと、切実に願う。(2023年1月15日初見|2023年1月16日記・公開)
宮田徹也(みやた・てつや)1970年、横浜生まれ。高校1年生3回2年生3回中退、和光大学卒、2002年横浜国立大学大学院修士課程修了。現在、嵯峨美術大学客員教授、日芸美術学部、創形美術学校非常勤講師。2020年『芸術を愛し、求める人々へ』を、論創社から刊行。2023年春、批評集『必滅と不滅』を刊行予定。
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