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2014年7月 8日 (火)

『キル兄にゃとU子さん』アフタートーク2013/12/2(月) 西堂行人氏(演劇評論家) 

ゲスト:西堂行人氏(演劇評論家)×赤井康弘(サブテレニアン・サイマル演劇団)司会:菅野直子氏(99roll、劇作家・演出家) 
 
菅野 「キル兄にゃとU子さん」の初演の脚本がシアターアーツに掲載されたのは、西堂さんが編集長を務めていた時なのだそうですが、掲載した理由をお聞かせいただけますか?
 
西堂 震災を扱った最初の作品だったということが一つあります。作家が震災をどう受け止めているのかということに興味があったのですが、疑心暗鬼の中で無我夢中で書いた作品だと思いました。現実に半身を曝している状態で、ある種のドキュメント性が色濃くありました。俳優達もどう扱ってよいのか戸惑いながら、それでもやらなくてはという確信を持ってやっていて、舞台に強さを与えていました。シアターアーツは商業誌ではないので、実験性や問題性を持った戯曲を載せるということを考えており、掲載するのに相応しいと思いました。
 
菅野 リライトされて新しいキャラクターも加わり、印象も変わったと思いますが、どのようにご覧になりましたか?
 
西堂 この作品はベケットの「ゴドーを待ちながら」の裏っ返しのようなところがあるんですね。肝心のゴドーが来ないのがベケットの作品ですが、ここでもU子さんとキル兄にゃが探されてはいるが出てこない。「作品が構造を持ってきたな」というのが感想です。2年8ヶ月経って、現実感が残酷な言い方をすれば風化されていく中で、逆に浮かび上がってくるのは構造なのではないか、と。
 
菅野 初演では作り手が半身を曝していたところから、今回は構造が浮かび上がってきた、と。
 
西堂 2年8ヶ月前は観客も作り手も戸惑いながら作品に立ち会っていたところがあって、それがプラスに作用すると、見えないものまで想像力で作り出して見えてしまう。今回はもっと冷静に捉えることができたと思います。この作品では1970年を起点として原発の歴史を追っていますが、僕は1969年のことを思い出しました。1969年は人工衛星が初めて月に着陸した年です。人間の未来とか科学の力が絶賛されていたんですね。人間の科学の発達には確実に未来があるのだと。しかし、宇宙の開発は、実はソ連とアメリカの科学戦争、代理戦争の側面があるのです。オリンピックと科学は戦争の代理をやっていて、米ソは常に競っているわけです。こうして科学を信奉しつつ、翌年にはこういうことに着手していた。気付かぬうちにあれよあれよという間に原発は作られていて、そういうことにあんまり抵抗がなかったな、と。改めてその迂闊さに気付かされました。
 
菅野 昨日は大信さんを招いてお話を伺ったのですが、その時に「自分が生まれてから今に至るまで何がおきていたのか、自分はあまりにも知らなすぎた」と仰っていて、私は大信さんと同い年なので印象に残りました。
 
西堂 それらは実は最近のことなんですね。止めようと思えば止められなくもなかったというくらい最近のことで、ある種の呵責の念みたいなものがありましたね。
 
菅野 韓国の俳優さんとの制作過程について赤井さんよりお話いただけますか。
 
赤井 ナヨンが日本に来るにあたって、まず仙台空港に来てもらい、仙台や南相馬、浪江町など被災地を巡りました。ナヨンもyoutubeなどで被災の状況を見てはいたけれども実際に訪れたことはなかったので、被災地を訪れる体験を共有したいと思ったのです。稽古期間は約一ヶ月ほどありました。外国の方を招いてやるのははじめてだったので、お互いコミュニケートをとっているつもりでも全然とれていないことがたくさんありました。それでも最後の最後まで話す努力はしました。どこまでできていたかはわからないですが。
 
菅野 どのような部分でコミュニケートがとれていなかったのでしょうか。
 
赤井 作品の理解の部分です。稽古が終わっても、ご飯を食べている時でもお酒を飲んでいる時でも、家に帰ってからも、とにかくずっと作品について話していました。日本人だとなあなあで済ましてしまうところもあるのですが、外国人で常識も前提も違うとそうはいかないのですね。
 
西堂 脚本では韓国語と日本語の両方のセリフがありましたが、原則はあったのですか?
 
赤井 ナヨンが演じたのは女2というキャラクターで、U子さんを探して街にやって来るのですが、そこには何か理由があるわけです。ただ単に友達が行方不明だから探しているわけではなく、例えばジャーナリストであるとか、科学者であるとか。世界に対して告発している部分、外部に向けた声を韓国語で表現しました。
 
西堂 会話が成立している部分が日本語だったのですね。そういう原則を決めたということですね。
 
菅野 今日は、初演に出演した佐藤さんが会場にいらっしゃっています。佐藤さん、初演した時のことについてお聞かせいただけますか。
 
佐藤 震災が起こった直後で、芝居も何もやりたくないという感じだったのですが、本番は既に決まっていたのでやるしかないということで稽古に臨みました。稽古場もないのでカラオケボックスを借りたりしながらの稽古でした。さぐりさぐりやっていた感じですね。亡くなった人を新聞で読み上げるところなどは、涙を流しながら稽古していました。脚本が出来上がる前はワークショップをしていたのですが、そのうちに元々あった脚本の意味合いが変わってきました。
 
西堂 意味合いが変わるというのは興味深いですね。
 
佐藤 新聞紙を撒き散らすというところなどは、放射能のイメージが重なっていったりしました。
 
西堂 初演を見て思ったのは、どこかしらユーモアがあるというか、悲惨を悲惨として描くと辛いけれど、それを突き抜けたユーモアがあると感じました。ある種のアイロニーもあり、ただ事実を訴えられてもこちらもそれを受け止める術が無いのですが、表現として受け止められたのはユーモアとアイロニーがあったからだと思います。それが一つの作品として昇華されていた。
 今回見ていると、「ゴドーを待ちながら」のような究極の人間の在り方が提示されていて、「置き換え可能な構造を持ち始めたな」と思いました。見た人が自分の状況に応じて、チェルノブイリの人だったらその状況に、虐殺された歴史を持っている国の人だったらその国の問題にそれぞれ置き換えて見ることができる。ただ、そこには津波という自然のものと、原発という人為的なものがあるのですが、それが本当に置き換え可能なのかというと、僕は非常に微妙な気がするのですね。僕は普遍化という言葉は危険な言葉だと思っています。寧ろ普遍化できない、なんて言うか固有の条件のようなものが演劇というものが発信できる大事な部分だと思います。他の国で翻訳できる部分ではなくて、翻訳できない部分、ロシアに行っても通じなかったところとか。言葉の問題だけではなく、状況もそうです。それがこの劇にはあると思うんです。普遍化という言葉で全部持って行かれないで、ごりっとした核みたいなものを持ち続けてほしいと思います。何ともうまく言い表しにくいんだけれども。
 
菅野 それは自分が選択したりする部分ということでしょうか。
 
西堂 そうですね。迂闊にこういう状況を受け入れてしまった自分たちとか。例えば、劇の中に「Jビレッジオープン」とありましたよね。僕は、あれは「いかがわしい」と当初から思っていたんですよ。日本代表の選手が練習しているのを見て、「なんかこれ東電にやられているんじゃないか」と。これはもう、ある種の弱い部分を攻め落としていく作戦ですよね。限界集落的なものを攻め落としていく政治の持っている戦略みたいなものを見逃してはいけないという気がすごくしますね。ちょっとしたことですけれども。あれがまた再開して、JFAのアカデミーが開かれたりして元に戻ってしまうと、結局こういうことがなかったことにされてしまう。そのシンボルとしてJビレッジが活用される怖れがあるので、僕らはそういうことに用心深くならなくてはいけないと思います。
 
菅野 貴重なお話をありがとうございました。お二人より最後に一言づついただきたいと思います。
 
赤井 本日はご覧いただきありがとうございました。これはサブテレニアンのダイアローグという企画の一つです。ダイアローグは東北の舞台芸術を上演する試みで、小さい規模の劇団やダンサーをサブテレニアンに呼んで公演を行っています。これからもサブテレニアンが続く限りずっと続けていくつもりです。応援していただけるとうれしいです。
 
西堂 2011年の9月に横浜の相鉄本多劇場で「演劇でできること」というシンポジウムを持ちました。架空の劇団のくらもちひろゆきさんにもいらしていただき、充実したシンポジウムとなりました。その中で「人間は情報を運ぶ」という発言がありました。ナヨンさんが韓国では心配されながらも日本に来てくれて、大事なことは情報を持ち帰ってくれることだと思うんです。これが演劇の重要な要素だと思います。一人の人間の持っている情報量はばかにならないくらい膨大なことなので、それがいろんなところに持ち運ばれることによって事の本質が見えてくる。僕らは風評や、勝手な憶測で考えがちだけれども、体験として語っていくことが大切なのではないかと思います。赤井さんが「とにかく話すんだ」と言っていたけれども、結局そこだと思います。舞台に現れるのはほんの一部ですが、実はその前に膨大な量の対話が行われていて、それが演劇の本質的なことなのではないか、と。今日見たことも、感想を話したりして、いろんなところに持ち帰ってほしいと思います。

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