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2011年12月17日 (土)

OtoO Presents 白鳥英一インタビュー

SUBTERRANEAN Dialogue
OtoO Presents「結〜他愛ない話のオムニバス〜」
2012年2月10日(金)〜12日(日)

 【SUBTERRANEAN Dialogue】 2012年2月は OtoO Presents の公演です!
 OtoO Presents 代表の白鳥英一さんは、仙台で俳優、ナレーター、作家、演出家として活躍しています。3月11日の地震の後は NGO の活動で被災地を訪問する仕事も積極的に行っています。様々な思いを抱えて活動されているのですが、今までの仕事が一時的に激減したことも理由の一つなのだそうです。
 白鳥さんに、被災地を訪問した時の状況や、芝居の持つ力についてどのように考えているのかなど、お話をお聞きしました。

--- 今回上演していただくオムニバスの中の「さいごのじゅぎょう」は、NGOのSave The Children の活動で東松島の小中学校を訪れた時の体験を基に作られたそうですね。また、同じSave The Children で「セロ弾きのゴーシュ」を避難所で上演する、夢トラックの活動にも参加されたそうですね。それらの活動の内容と、「さいごのじゅぎょう」を書こうと思った経緯について教えてください。

 小中学校などの避難所で「こどもひろば」を開設し、子ども達と遊ぶという仕事は、三月の末に募集があり、説明を受けると次の日にはもう東松島に向かいました。毎日二時間ほどの遊びの時間に子ども達がひろばを訪れる。学校が避難所となっていて、同じ校舎から子供達がやってきます。やわらかいボールでサッカーをしたり、本を読んだり、ブロックで遊んだり…。子ども達を預けている間、大人は片付けや役所への届け出、泥かき、引越し先を探し、仕事をしていたのだと思います。
 避難所で子ども達は大人しくしています。そこは家ではなく、自由に騒ぐことができません。走り回る、大声を出すこともできず、ストレスを発散できない。もちろん子ども達も、今、どんな事が起きているのか知っています。
 一方こどもひろばでは、暴力的言動にでたり、津波ごっこでブロックで建物や何かを作っても最後にはバーッと壊してしまう子も…。無理に止めてはいけないと思い、最後の片付けは一緒にするようにしました。お話ごっこ(お手手絵本のような遊び)をはじめ、そのお話が止まらなくなった子、自閉的な子、多動的な子、2時間騒ぎまくり、走り回り、それでも嬉々として我々を追い掛け回す子もいました。
 活動を続けてしばらくしたある日の朝、私たちが到着すると、皆が引越しの準備で騒がしくなっていました。避難所での別れが突然やってきたのです。前日の夕方、明後日までにはここを出るようにと言われたそうです。食糧などを渡され、バスで他の避難所へ移動するとのこと。いつもの消灯時間を一時間延長し、荷造りや話し合いが行われたそうです。
 僕は東松島の二箇所の避難所に主に通っていました。何人かの子ども達を自然と覚えました。「さいごのじゅぎょう」は、そこで出会った子ども達を舞台に登場させたいとの思いで書きました。突然来た別れ、卒業、多くの別れ。お別れの物語を書かなければと思ったのです。
 自分自身殺伐としていたかもしれませんね。風呂にも入れず、早起きして、車に揺られて極被災地に。物語に救い、夢、コメディリリーフも必要だと思いました。東松島には毎日車で行っていたのですが、その間、アイデアをメモしていました。目にすること、被害、食糧を買うのに並んだこと、もう様々なことを。他に仕事もありませんし、稽古どころでもなかったので、かえって書くことで自分が救われていた、芸に身を介けられていたと感じます。それが、今回の作品群につながっています。
 ゴールデンウイークには、先のNGOの主催で、岩手宮城の六ヶ所を巡り、トラックの上で演劇を上演する、夢トラック劇場「セロ弾きのゴーシュ」に参加しました。楽器の演奏や踊りもあり、子ども達にも楽しめる演目だったと思います。実はその時のチーム名は「夢とらっく結」だったんです。僕が提案しました。
 上演場所へ向かうまでの道はものすごい瓦礫と火事の跡で、「こんな山あいまでなぜ波が来るんだ!?」と、景色を見ているだけでストレスが溜まり非常に疲れました。宮城の沿岸部に入ると、石巻や東松島の見知った景色が…。「これでは逃げようがない」というのが正直な感想でした。「ああ…」と、ため息をこぼしながら揺られていました。
 子ども達は喜んでいましたよ。ステージにあがってもらい一緒に演奏したり、とにかく笑ってもらおうと必死でやっていました。NGOがいっぱいプレゼントやお菓子を用意していて、ダンボールのイスを作って、それに座り観劇し、それをおみやげにとか…。
 岩手の公演で最初の本番を終えると、親子で来ていたお母さんが「どこから?」と聞くので、「宮城から」と答えると、「あら、大丈夫なの?」と、逆に心配されました。「そうか、宮城の方が被災の度合いがひどいのか」と、改めて思いました。


 ---3月の地震の直後は、東京でも自主的な判断であったり、或はやむを得ず、公演を中止や延期にした団体がたくさんありました。非常時に公演をすることの意味や、芝居が持つ力について、私自身、今まで以上に考えさせられました。仙台を活動の拠点とし、避難所での公演を経験している白鳥さんは、東京に住む私より強く、「芝居に何ができるのか」ということを考えることが多かったと思います。白鳥さんが今後演劇活動をする上で、芝居の持つ力について、何か思うところがございましたらお聞かせください。

 初めの頃は、笑いが必要だったと思うんです。(本当はその前に、命と、温かさ、飲み物、食べ物なんですが)演劇的なことでは、笑いが先にでました。芝居という言語的なものよりも、もっと直接的な音楽やダンスの方が早かった…。
 言語を操る演劇は、今は無理だと何度か思いました。自分が劇作家でもあるので、まだ口にできない(セリフにならない)というような思いでいました。それでも、笑いや宮沢賢治などの文学作品は入りやすかったかもしれません。
 私たちが初めにできたのは、もしかしたらほぐしや体慣らし的なこと、ストレッチかもしれません。狭い、固い、寒いところで凝った身体をほぐすこと。
 支援、慰問…あるくと(※注)では「出前」と称していますが、仕事などでも、石巻、陸前高田、東松島、ゆりあげ…極被災地の名前を聞くと、行かなければと思います。そこで、そこにいる人たちに、演劇や、ちょっとした気分転換や、何かの役に立つことができないかと思います。その空気を感じて演劇をしたい。そういった状況を知らずに、この地方のアーティストが何かを生み出すとしたら、「間違うのではないか…」という恐れがあります。僕は、間違いたくない。逆撫でしたくない。未だに演劇どころではない方もいらっしゃることは事実です。それを忘れたくない。そういう人たちの声は小さい。静かに耳を傾けなくてはなりません。
 この震災津波を経て、人たちの気分を吸い取り、なにかものする作家や劇作家がでてきてもおかしくないと思います。言葉にできない人たちの、言葉にならない思い、空気の、代弁者が出てくると思います。  
 笑いが必要な時期はあっという間にすぎて、今はもしかすると、もう少し歯ごたえのあるもの、ぱっと終わってしまうものではなく、心にしみるもの、悲しみ涙を流すものも求められているかもしれません。
 先輩の劇作家が「下手なものは書けないな(やれないな)」と言っていましたが、これは、この地の演劇人が同じく思うことかもしれません。でも、やってみなければわからないとも思います。頭の中や稽古場では、どんな物語でも可能です。それを否定したら、おしまいだ。でも、間違いたくない。逆撫でしたくない。だからメンバーとこれはどうだろうかとディスカッショしたり、例えば僕の一人芝居は、演出家についてもらうとか、少しでも客観性を持ちたい。仙台でプレビューとして公演するのも、そういうことの一つだと思います。

 ---3月11日の地震より前に、宮城県沖地震と阪神大震災をモチーフにした作品を書いていらっしゃっており、上演にはいたらなかったということですね。作品の内容と、上演を断念した理由についてお聞かせいただけますか?

 「たまには2人で」という作品を、昨年の下半期に時間を掛けて書きました。関西弁の役があったので監修してもらい、読み合わせもしていました。俳優に声に出して読んでもらい、改稿と稽古を繰り返すのが僕のいつものやり方です。メンバーが仕事で忙しく、プロデュースで上演しようかと思っていました。
 そこに、3・11。震災、津波の被害・脅威を目の当たりにした時、上演はできないと思いました。自分の想像力をはるかに超える災害、それに対して語る資格は自分にはないと思いました。上演にいたらなかったのではなくて、上演しようなんて思いもしませんでした。演劇どころではなかったですし…。
 先の質問を受けて仙台に戻り、震災後初めて、その台本を読み返しました。改稿は必要ですが、【震災前に書いた震災にまつわる話】というのが逆に、価値があるように感じました。全く津波のことは念頭になく、そのことが今となっては奇異に感じます。
 「たまには2人で」では、しばらく会っていなかった父子が一緒に暮らし、電車ごっこしながら、記憶を巡るように旅をします。離れていた親子が四畳半の部屋で電車ごっこの旅をするうちに、心にわだかまる思いを吐き、その絆を結びなおす。最後の駅は、一番最初の記憶の駅です。駅を降りるとそれぞれの時間が流れていて、誰の記憶なのか曖昧です。父の記憶は阪神大震災、子の記憶は宮城県沖地震。
 「情報は遠くの人だけわかってる」・・・芝居の中の台詞です。宮城県沖地震のとき、出奔して仙台にいなかった父が、震度や死者の数などを詳しく語る。現地で揺られていた方は、データ的なことはさっぱり。逆に、あの夕暮れはどうだったとか月が怖いくらいに綺麗だったとか、その時の気持ちや感覚を良く覚えている。今回被災した時もそうでした。
 あの瞬間どうすることもできず、亡くなった方たち。その状況を見ているしかなかった人たち。そして、テレビの前で見ていた人たちが、我が身を思い、買占めに動いて誰が責められるでしょう…? 近く遠くに関わらず誰もが被災者になりうると思います。
 現実には敵いません。でも、ほんとみたいな嘘があります。それが演劇かな、と思います。ひと時、心を遊ばせることができたらと思います。離れた土地にいる方にも、そういった作品の方がいいと思っています。

 ---今回上演するオムニバスの作品は、どれも地震の後に書かれた作品とのことですね。「沼イルカ~月明かりに照らされて~」、「かわいそうな人」、他にもいくつか上演していただけるとのこと。それぞれについて、これから公演を観るお客様に差し障りのない範囲で、内容や、着想のきっかけをお聞かせいただければと思います。

 地震の前から「結~他愛ない話のオムニバス~」の構想はありました。その頃は「おむすび~」というタイトルを考えていました。なぜか、おむすびを握る僕が幕間に出てきて、お客さんとお喋りをしながら次の演目につなぐという、そんな絵が浮かんでいました。おむすびを食べてもらおうとも思っていました。「現代の人間関係を題材にしよう」と漠然と思っていましたが、震災津波が来て一変しました。どうしても感じること見聞きすること書くことが、そこから離れなくなっていました。これはどうしたものかと思いましたが、今、自分が感じるこれこそが、現代の人間関係を描くということになるはずだと思いました。前置きが長くてすみません。

「沼イルカ~」
 携帯電話がなんとか使えるようになり、配信されてきたニュースで「田んぼに閉じ込められたイルカを助けようとした」という記事がありました。また同じ頃、「遠野物語」に津波の話があると聞きました。それは「津波で死んだはずの女房が、今はあちらの世界で別の男と暮らしてる。子どもは生きていて、こっちに帰りたくはないのかというと、女は泣き出した…」というエピソードでした。これをそのまま上演することはできない…。
 2011年2月~3月に夏目漱石の『夢十夜』と、自分の夢日記を合わせて、『夢十五夜~こんな夢を見た~』という、リーディングステージをやりました。会場の一つだった塩竃の親戚の居酒屋は、津波の被害で再開できず、廃業となりました。
 これらが「沼イルカ~」が生まれてくる前提です。夢かホントかわからないことが月明かりに照らされて見えてくるかもしれません。

「かわいそうな人」
 震災後、つきあいを見直し別れたり、くっついたりした人たちが、多く見られました。気付かない事を気付かせてくれた。気がつかなくていいことに気付いてしまった。そのいずれかの物語です。若い人たちの恋模様を描きたかったのです。

 文字だけではわからないですね(笑)。食べ物も演劇も、そこに来て観てもらわないとなんとも言えません。是非観にいらして下さい。

2011年11月 聞き手 さたけれいこ

白鳥英一プロフィール
俳優、劇作家、演出家、ナレーター。
1971年仙台市出身。
OtoOpresents(おっとぷれぜんつ)代表。
劇作・演出時は、「芦口十三(あしのくちじゅうぞう)」。
劇団I.Q150に11年所属し、その後独立。OtoOpresentsは今年12年目。演劇歴23年。
主な出演:
三角フラスコ「てのひらのさかな」
SENDAI座プロジェクト「12人の怒れる男」
太白区民手づくり演劇にて作・演出
杜の都の演劇祭「父と暮せば」演出
同演劇祭「見えない人間の肖像」出演
NHK「東北未来人」NA
同ラジオドラマ
声優養成所講師
アニメむすび丸「伊達政宗」役
他CMナレーション多数

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