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2011年11月24日 (木)

三角フラスコ 生田恵インタビュー

SUBTERRANEAN Dialogue

三角フラスコ×ペピン結構設計「ハウ・アー・ユー?」
-仙台と横浜、それぞれの物語。2作連続上演-

2011年12月10日(土)~13日(火)

SUBTERRANEAN Dialogue が始まります。第一弾は仙台市を拠点とする三角フラスコと、横浜市で演劇活動を行うぺピン結構設計による「ハウ・アー・ユー?」です。

サブテレニアンを拠点とするサイマル演劇団はかつては仙台市を拠点としていました。三角フラスコとはその頃からのお付き合いです。2000年には福島市の満塁鳥王一座と三劇団で、福島市の信夫山野外演劇祭を開催しました。

三角フラスコが東京で公演を行うのは、2007年のアゴラ劇場での公演以来4年振りとなります。
三角フラスコの代表で、作、演出を務める生田恵さんに、今回上演する「はなして」や、3月11日の地震の後に感じたことなど、お話を伺いました。

---「はなして」はインディペンデントシアタープロデュースの一人芝居フェスティバルに参加された作品ですね。河北新報に掲載された生田さんのコラムを拝見したのですが、3月11日の地震の前から、この一人芝居のための稽古をされていたそうですね。その後稽古は中断し、ゴールデンウィーク空けの5月7日に稽古を再開されたとのこと。震災の後しばらくは、また、もしかすると今でも、芝居のことを考えるどころではなかったのではないかと想像します。その時の体験についてもお聞きしなければいけないことがたくさんあると思うのですが、ここではまず、5月にひとり芝居の稽古を再開された時の心境、また、この作品への取り組みや思いについてお聞かせいただけますか?

(稽古再開までのいきさつです)
一人芝居の稽古を再開する前の、4/30と5/1に、C.T.T.sendaiによる特別支演会というのに参加をしていたんです。仙台では、震災後わりとすぐに、舞台関係者が集まろう、という動きがあって、(現ARC>T)そこにC.T.T.sendaiの事務局の人が来ていて、「どうしても今やりたいと思っているので、どなたか出てくれませんか」という呼びかけがあって。最初はすごく戸惑ったんですが、劇団内のミーティングで、俳優は「やりたい」と思っているようだということがわかって…。稽古場もありませんでしたから、個人で持っているスタジオに間借りして、とにかく一度、稽古をしてみようということになりました。それが確か、4/10だったと思います。その日の稽古の感想は、変な言い方になりますが、「嫌ではないようだ…」と思いました。そこで、とにかく支演会に参加することを決めて、クリエイションに入りました。稽古は8回のみ。テキストはありませんでした。簡単なルールと、やってもらいたいことを俳優に伝えて、やってみてどうだったか、フィードバックをもらいながら、シーンを構成していきました。この時期に、こうした企画に参加をさせていただいたことで、お芝居から離れずにすんだ、ということは言えるかもしれません。

5月に入ると、いつも稽古で利用している、せんだい演劇工房10-BOXが部分再開しました。(12/1~全館利用再開になります)フラスコは年がら年中10-BOXで稽古をしているので、2ヶ月振りに行くと、「久しぶり!」とか、「フラスコが帰ってきた」とか言っていただきました。職員の方々もご無事なようで、安心した、というのが一番大きかったです。とはいえ、このときまだ、自分に何か「書く」ことができるとは思えませんでした。それでも、稽古というのはやればいいことが見つかるもので、この日の稽古中に、いきなりタイトルが決まります。次の稽古日には、手書きの(これも、普段はないことです)台詞を1つ、持っていきました。それを瀧原に読んでもらって、また次の稽古までに1つ、1つという具合に、断片的な台詞を積み重ねていきました。一人芝居は、ひとりです。当たり前ですが。そういう、ひとりぽっちの孤独を、きっとあのとき、誰もが経験していたのだと思います。「物語」と呼ぶには切れぎれで、カケラを集めてできたような作品です。しかしこの「はなして」という作品は、時が経ち風景が変わっても、記憶の引き出しをこじ開けるようにして、当時の場所まで連れていってくれるのではないかと思っています。

---「はなして」の上演の後、A級MissingLinkさんとの合同公演で『あと少し待って』を上演されましたね。こちらは、震災後の3日間を描いたものだそうですね。震災の体験を直接的に語った作品だった、という感想などをネットで拝見しました。3月11日の地震の後、二つの作品の脚本と演出を手がけられたわけですが、今後、作品を作る上で、仙台在住の劇作家、演出家として意識していきたいことは何かありますか?

「はなして」も「あと少し待って」も、震災について書こうと思って書いたというわけではないんです。どうしても、目の前にあったので、避けて通れなかったと言ったほうが正しいのだと思います。その2作品についても、書けないでいることがたくさんある。実際には、まだほとんど手がつけられていないんです。新しい生活が始まって、新しい物語が生まれることもあるだろうと思いますし、3.11の(まだ書けないでいる)続きの話を書くこともあるだろうと思います。わたし自身もう少し時間が必要だし、この先もずっと、考えていかなければいけない問いなのだと思います。

---今回出演される劇団員の瀧原弘子さんは幼馴染なのだそうですが、もしよろしければ、お二人の関係や、瀧原さんの魅力についてお聞かせいただけますか?

小学校3年生くらいからの付き合いです。「ひーろこちゃん、あーそーぼ」って言って、よく家に遊びに行ってました。一緒に登校してたんですが、わたしが待ち合わせに遅刻するんで、よくおいていかれました。中1のときに、彼女が演劇部に入るというので一緒に見学しにいったのが、わたしが演劇を始めたきっかけです。瀧原はユカイな人です。負けず嫌いで好戦的で、かわいいものに目がありません。フラスコがばりばり公演をするのも、ツアーに出かけるのも、彼女が原動力になっていることは間違いありません。

---三角フラスコさんは、関西での公演は積極的にされていらっしゃいましたが、東京での公演は2007年にアゴラ劇場で公演されて以来、久しぶりの公演になると思います。私どもは、これからも機会があれば東京で公演を行ってほしいと思っております。久しぶりに東京で公演することについて、見ていただくお客様へメッセージなどございましたらお願いいたします。

今回、このような機会をいただいて、大変嬉しく思っています。仙台では、ようやく小劇場が稼動し始めました(被害の大きかった、大劇場などは、まだ再開できていないのですが)。この後、多くの劇団が公演を打つだろうと思います。東京に行って、東京のお客様にお芝居を観ていただきたいのはもちろんですが、東京のお客様に、できれば今後、仙台に来ていただいて、地元の空気を味わいながら、仙台のお芝居も楽しんでいただけたら…と、少しわがままなことを申し上げます。仙台は近いです。「(仙台まで)観に行ってもいいかなぁ…」と思っていただけるように、磨きをかけて、たましいを込めて、お届けいたします。どうか、どうか、たくさんのお客様との出会いがありますように。

2011年11月
聞き手 さたけれいこ

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