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2011年7月 1日 (金)

満塁鳥王一座『キル兄(あん)にゃとU子さん』

6/25(土)、26(日)、劇団満塁鳥王一座『キル兄(あん)にゃとU子さん』(作・演出/大信ペリカン)が上演されました。

3.11後、東北ではあらゆるものが停滞し、それは舞台芸術も例外ではありません。あの日以来、福島で作られた演劇が上演されるのは初めてで、歴史的な瞬間となりました。

舞台にはミニチュアの町が浮かんでいる。「U子さんの町にはキル兄にゃが住んでいる。彼が切り刻み、撒き散らした新聞紙はU子さんの町に降り積もっていく。新聞紙はまだ底をつきそうにない」冒頭、福島県の大きな事件小さな事件を記した年表が2011年から遡って読み上げられていく。今起きたと思っていたあの事故が40年前から営々と続いていた歴史の帰結であることが痛烈に示される。台本には女1、女2、男としか記されない無数の市民がそれぞれのU子さんを捜している。でもU子さんは見つからない。U子さんはどこかへ行ってしまった。時として詩が読み上げられる。それは彼らの根っこであり、それはU子さんがいた日常に繋がっていた。突然流れる緊急地震速報。彼らは思わずミニチュアの町の下に潜り込む。キル兄にゃが撒き散らした新聞紙を手に取れば、それは全て無数のU子さんの無数の死亡記事。ラスト、たなばたさまを演奏しながら、男が「2012年、2013年、2014年・・・」と未来の年を叫び続けるが、メロディにかき消されていく。震災は終わっていなし、これから永遠に続いていくことを強く示唆する。

彼らは反原発を唱わないし、無能な政府をあげつらうこともしない。世間に皮肉を言うこともない。ただ確かにそこにいた。彼らは決して演技がうまいわけではない。ただ堪えていた。それは役者でありフクシマで生きる人間であり。終演後、サブテレニアンでは初めてのダブルコールが起きた。そこに役者がいて、演出家がいて、スタッフがいて、観客がいた。そういう小さな奇跡があった。

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